Design Stories

IN HISTORY

歴史の中にシャープがある。デザインがある。

1980年(昭和55年)音声電卓

―歴史の中にシャープがある。デザインがある。ミュージアム40周年合同企画「IN HISTORY」―

こんにちは。シャープミュージアムの中谷です。このシリーズでは、ミュージアム説明員の藤原と中谷が、シャープの製品や歴史について自由に語ります。ほんの少しでもシャープの歴史にご興味を持っていただけましたら幸いです。

今回語るのは、1980年(昭和55年) 音声電卓<CS-6500>です。

世界初の「しゃべる」電卓

世の中に無いものを創るんだ!
この思想のもと、開発されたのが1980年(昭和55年)発売のこちらの電卓です。
何の変哲もないように見えますが、実は「世界初」のすごい技を持っています。
一瞬にしてお客様の目や耳を釘付けにしてしまう・・・今から43年前に音声合成技術を採用した「しゃべる」電卓です。

例えば、1を押すと「イチッ」、2を押すと「ニッ」というふうに、「123 × 456 = 56,088」 は、「イチ、ニ、サン、カケル、ヨン、ゴ、ロク、イコール、ゴマンロクセンハチジュウハチ」 と棒読みで読み上げます。
続けて「プレイバック」ボタンを押すと、一旦「プレイバック」と読み上げた後、続いて「ヒャクニジュウサン カケル ヨンヒャクゴジュウロク イコール ゴマンロクセンハチジュウハチ」と今度は位取りして読み上げます。計算プロセスを読み上げることで、入力ミスを「耳」で確認することができるのですね。またよく見ると、数字キーの表面(指でふれる部分)の凹凸は、上段、中段、下段と配列場所によって微妙に角度に変化があるためタッチしやすく、ユーザー目線に立った丁寧なつくりになっていることがうかがえます。
歴史館の展示品としてはとても頼りになる存在で、今でもちゃんと動作しますので、実際のおしゃべりをお聞かせすると年代問わずどんなお客様にも驚いていただけます。

テープレコーダーで再生してる?いいえ、違うんです

そんな音声電卓。「世界初」、「世の中に無いもの」を創ったので、とても注目されました。テレビ番組の取材はもちろん、多くの企業から「わが社の商品に音声機能をつけてほしい」と、国内のみならず海外からも引き合いが相次ぎました。
当時、音声合成技術の開発は各社が手掛けていたようですが、まだ「研究」の域にとどまっていて、「製品開発」として手掛けた例としてはとても珍しかったようです。引き合いのあった会社へ試作機を持って出向いた際も、「きっと小型のテープレコーダーが回っているに違いない」と音声合成技術を信じてもらえず、出向いた先の社員の方が試作機にピタッと耳をつけてモーターの音を確認されたというエピソードもあります。

開発で最も苦労したのは、音声合成のアルゴリズムとデータの開発です。
世界中の音声合成関連の論文を読んで、参考になりそうな手法を探し出し、それをプログラムにする苦労は大変なものでした。最初は何を言っているのかさっぱりわからない「音」が、試作を繰り返すうちになんとなく「声」に聞こえ、そのうち「話し声」になっていきます。「声」の時点では、誰かの声を録音し、そこから必要な情報(エッセンス)を抽出するのですが、当然「原音」が最も重要。当時のテレビ番組「皇室アルバム」のナレーターの方と契約して、スタジオで録音させてもらったそうです。

音のノイズを探して

ご見学案内中、小学生の皆さんに、「どのように使われる電卓だと思いますか?」と質問すると、ほぼ皆さん、ハッと思いついた表情で「目の不自由な人が使う」という声が返ってきます。実はこの後、「音声時計(CT-660)」、「音声レジスタ(ER-2180)」を相次いで販売するのですが、音声時計は障がいをお持ちの方が購入される場合は国からの補助が出たようです。
ただ、目の不自由な方は人並み外れて優れた「聴覚」をお持ちの方も多く、合成音声の奥にあるノイズが気になるので改善してほしいとの要望も寄せられたようで、技術者の耳、かつ100人以上が居て騒がしい技術部の部屋ではどのノイズのことかが判らず対応に苦労したようです。当時はまだ防音室が無く、一番静かな部屋と言えば、唯一絨毯が敷き詰められた幹部の部屋だったので、幹部の留守中にこっそり部屋に入り、息を潜めながら必死でノイズを探したというエピソードも聞きました。

早川の“恩返し”のこころを今に受け継ぐ

話は変わりますが、実はこの「音声電卓」が発売された年に、創業者早川徳次が逝去します。86歳でした。彼は幼くして両親を亡くし、わずか生後1年11か月で養子に出されるのですが、その2年後に養母が亡くなると、継養母から厳しく当たられ、食事も満足に与えられない幼少期を過ごします。その後、近所に住む目の不自由な女性の世話を頼りに、金属加工職人に奉公することになり、ここで習得した金属加工技術が徳尾錠やシャープペンシルの発明につながりその後の人生の活路を見出しました。9歳の幼い自分の手を引いてくれたこの女性の手のぬくもりを、早川は忘れ得ぬ収穫として心に刻み続けます。その感謝の気持ちが「福祉・障がい・貧困」といった方面への支援活動の原点となり、後に日本で最初の特例子会社の認定を受けた早川電機分工場を設置(現・シャープ特選工業株式会社)、身体障がい者や共働き家庭の子供を預かる保育園の設立、福祉会館や市民活動センターの開設を手掛け、今でいう「社会貢献活動」の草分けとなりました。

早川がその女性に再会することは叶いませんでしたが、このことから、彼は「音」を作ることにもこだわり、それは現在にも受け継がれています。今や家電製品はしゃべる(音声ガイド機能)のが当たり前になってきました。単なる音声ガイドではなく、「おはよう」「いい天気だね」「(ボタン押す回数が多すぎて) もうええやろ!」「(給水したら)ありがとう」のようなシャープ独自のコミュニケーション型の会話機能にも引き継がれています。

早川が望んだ「ものづくりによる社会貢献」がまたひとつ実を結んだのだなあと思います。

今回はここまで!次回は「LCフォント」についてご紹介する予定です。

【シャープミュージアムは2021年11月で設立40周年を迎えました】
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このシリーズでは、シャープミュージアム説明員の藤原と中谷が、シャープの製品や歴史について自由に語ります。ほんの少しでも、シャープの歴史にご興味を持っていただけましたら幸いです。